ひとりでできない

 吃音者である僕は、自分の意志とは関係なく寸断されてしまうことの多い会話でのコミュニケーションに違和感があります。吃音で、発しようとした言葉が行き場をなくし自分の中へ帰っていく時、僕は他者との間に深い断絶を感じます。僕にとっては、カメラを通して視線を交換する行為の方が、言葉を交換する会話でのコミュニケーションよりもしっくりときます。
 写真は、対象物の輪郭をなぞるにすぎず、被写体が何を考え、感じているかは想像するほかにありません。しかし、カメラを挟んで、2人が視線を交わし、お互いを受け容れ認識するという写真の行為は、大きな喜びや興奮とともに少しばかりのもどかしさも与えてくれます。当然のことですが、これはひとりではできません。