吃音者である僕は、自分の意志とは関係なく寸断されてしまうことの多い会話でのコミュニケーションに違和感があります。吃音で、発しようとした言葉が行き場をなくし自分の中へ帰っていく時、僕は他者との間に深い断絶を感じます。僕にとっては、カメラを通して視線を交換する行為の方が、言葉を交換する会話でのコミュニケーションよりもしっくりときます。——『ひとりでできない』

 他者の写真を撮る行為は、僕にとって、会話に代わるとても大事な他者との接触であり、その行為自体に大きな興味を抱いています。他者の写真を撮るということは、ただシャッターを押せば済むようなことではありません。その一瞬のための前後の時間に、撮影者と被写体の間に「見る、見られる」という濃密なコミュニケーションが存在しているように思います。僕は、このコミュニケーションを信用しています。

 鑑賞者が、写真を視ることを通じて、コミュニケーションとは何か?と考えるきっかけになるような作品を作っていきたいと考えています。
横山大介
2014年12月